4×5写真機を扱える技術、モノクロ現像する技術

こんにちは、オーナカメラマンの原一友です。
 
モノクロ写真についてちょっと持論を述べます。
私、昭和42年(1967年)生まれ。
赤ちゃん時代、父が撮ってくれた自分の写真はモノクロでした。
それがカラー写真に変わったのは、そのすぐあと幼稚園時代つまり昭和40年代後半には
カラー写真時代になっています。
しかし当時カラー写真は高価で、モノクロ写真は安価の時代がしばらく続きます。
 
私は写真館の息子、小学校1年生の頃には自分の簡易カメラを持っていました。
そして10歳の誕生日になると本格的一眼レフカメラ「ニコマートFT2」を
父から手渡されていました。
撮影するのはもちろんモノクロフィルムです。
自宅兼スタジオでしたので、小学校4年生頃にはフィルム現像、印画紙焼き付け作業は
父の仕事を手伝いがてらやっていました。
その後、中学校では写真部部長、高校でも写真部とモノクロ写真をやり続け、
高文連ではモノクロ写真で北海道準優勝するなどモノクロに慣れ親しみました。
 
高校卒業後東京へ、東京写真専門写真学校卒。
そして就職先はプロカメラ集団「バンク・パブリシティ」
時は1987年春、バブル最盛期の事です。
 
そこで出会ったのが4×5カメラです。
「えっ?その時代に4×5?」
と思われがちですが、そこはデジタルカメラがない時代
35mmのフィルムはクオリティが低くハガキサイズ程度の写真にしかなりません。
そこで動きのあるモデル撮影などはハッセルなどブローニーフィルム(幅6cmのフィルム)
を使用していました。
ブローニーフィルムは雑誌で使える大きさまではカバーします。
しかし時代はバブル景気、企業はこぞって他社より目立つ広告を打ちます。
大きなポスターはもちろん、看板広告、ビル一面広告など巨大広告の時代です。
 
そこで使われていたのは4×5フィルム、もっと大きな8×10フィルムなど
大型カメラが使用されていたのは意外にもバブル時代だったのです。
 
4×5カメラは、もちろんピントも露出もすべてマニュアルです。
しかも蛇腹でレンズ部とフィルム面をつなぎ、どちらも自由な動きが出来るカメラは
これ以外になく、操作は熟練を必要としますがそれ以上に魅力的な写真が撮れる
素晴らしいカメラです。
もっと見直されてもいいと思うんだけどね。
 
さて、働き始めた私。
当然アシスタント修行からのスタートです。
現場は過酷「リゲインの24時間働けますか?」の時代です。
街にはカメラマン志望の人々があふれかえっていましたが、
カメラマンになるにはアシスタントを最低3年修行の時代。
他のカメラマンが認めない限りカメラマンにはなれません。
4×5のカメラを自由に扱い、フィルムの色出しやライティングの組み立て方
クライアントとのつきあい方まで認められなければなりません。
 
私は運良く2年でカメラマンになり、さあ!バリバリ働くぞ!と思った矢先
 
1991年バブル崩壊。
 
一気に企業広告が縮小され、予算が削減されていきます。
そしてフィルムの性能も上がり、数年後デジタル時代へ突入、
4×5の出番はなくなりました。
 
それから30年あまり。
 
4×5カメラもモノクロフィルムもその役割や時代を終え、終息に向かっています。
 
でも、まだ一部のメーカーでフィルムは作られている、まだ焼ける。
 
カラーやデジタルにはない本物の銀塩モノクロの良さ、味がある。
 
そして100年後いや200年後まで銀塩は安定して画像が残る。
 
大型カメラの技術を持ち、そしてそれを撮影出来るスタジオを持ち、暗室があり、
 
そして大型カメラを持っている人は今の日本に多くはない。
 
銀塩モノクロは今やらなければならない、私の使命と思っています。
 

写真館 原スタジオ オーナーカメラマン 原 一友